無限の猿定理

日記っぽいなにか

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

読んだ。

面白かったです。

 

そんな事を言ったところで、過去を見直した時にどんな内容だったか忘れていそうなので普通に書く。

 

舞台は近未来、死の灰が降り注ぎ、世界から生命を尽く奪われて、人間は火星に逃げ込んだ。

しかし中には移住しなかったもの、移住できなかったものが地球に居続けた。

主人公であるリック・デッカードは警察署の職員で違法アンドロイドを狩る『バウンティ・ハンター』をしていた。

ある日同僚のバウンティ・ハンターが新型アンドロイドに敗れ、大怪我をし、そのアンドロイドを処理するように命じられる。

そこから彼の物語が始まる。

 

この物語の魅力はデッカードの心情である。

最初は無惨にアンドロイドを殺していたが、途中からアンドロイドとは何かと考え込んでしまう。もしかしたら自分もアンドロイドかも? と思ってしまうほどだ。彼が苦難し、熟考し、これで本当に良いのだろうか? と悩みながらも前に進むのが良い。

 

後はアンドロイドの行動も面白いと思った。

何故アンドロイドは嫌われるのか、人間とアンドロイドの差は何処なのか。曖昧な線引きではなく、明瞭になっていたもの良い。

作中では、アンドロイドはこの世界では貴重な生きている蜘蛛の脚を興味本位で捥いだ。一本、また一本と捥がれ、逃げようとするもアンドロイドからは逃れず捥がれる。そして半分も脚を失った蜘蛛は死ぬ。

彼らは一切の同情もせず、自由を奪い、そして殺した。法律でそこら辺にいる生き物を殺してはいけないとは書いてない。しかし、彼らのやっていることには同情しなねる。その感情こそが人間の英知の果てで獲得したものであり、アンドロイドと人間の隔たりが間違いなく存在する。この世界のアンドロイドは単純な意味を理解しても、心それそのもの自体を理解していなかったんだろう。その違いこそが面白かったし、考えさせられた。

終盤の方にレイチェル・ローゼンがデッカードの羊を崖から落として殺した。

アンドロイドらしからぬ無意味な行為だと考える。もしかしたら何かしら意図があるのかもしれないが、今の私には理解できない。考えられるとしたら彼女なりの嫉妬の衝動の現れだと思う。彼女はデッカードにアンドロイドを殺せないと目論んでいた。今まではそうだったし、これからもそうであると信じていた。しかし結果はその通りにならず、デッカードは全てを片付けた。運命というのはいつ何時も思い通りに行くわけがない。そんな事が可能な人間は誰一人として存在しない。だからその当たり前を受け入れられず、一つの無意味な行為をしたのではと。彼の大切なものを奪えば、腹の虫も収まると信じて……

私が考えるに彼女こそが最も人間に近いアンドロイドと感じた。

 

もう一つだけ考えたことがあり、作中に宗教が登場する。しかし、その宗教は偽りであり、信者は底のない奈落に突き落とされる。しかし、途中で教えを思い返して底から立ち上がれる。そこで考えたことが、宗教は概念の存在であり、実存するものでない。人々の中で存在すれば、それがたとえ偽物でも人々にとっての本物であるし、一つの救済であるとも感じた。

 

後、蜘蛛は二本脚を失っても問題無く動ける。

 

それではまた会う日まで。